現役医師が語る「コロナ禍を卒業するための教科書」
2019年に始まった新型コロナウイルス騒動。
医療業界をはじめ行政やメディアに先導されたこの騒動は、残念ながら「経済を壊し」「人々の絆を断ち切り」「自殺数を増加」させてしまった。
私は経済学部出身の医師という立場から、このような過剰な感染対策によるデメリットを憂いていた。そしてそれを問題視する発信を続けてきた。だが、この「過剰にコロナを恐れてしまう風潮」は2022年になっても依然として継続している。
2022年1月の全国高校サッカー選手権の準決勝では、選手2人に新型コロナ陽性反応が出たとのことで関東第一高校が出場を辞退した。
まるで「コロナに感染したら社会の迷惑・厄介者」と言わんばかりの対応だ。感染してしまった当該生徒の気持ちを察するに余りある。
コロナ騒動が始まってもう2年も経っているのに…コロナウイルスが日本社会に与えている健康被害は非常に小さいことが統計的に判明しているのに…
社会の過剰反応は当初と何も変わっていないように感じる。
今後もこのような風潮が続くのであれば、それこそ「新しい生活様式」となって社会に定着し文化になってしまうのだろう。
私はそんな「家畜」のような生活を、感染を恐れて人との絆や接触を断ち切るような社会を、絶対に子どもたちに残したくない。
そんなやりきれない思いが日々高まってゆき、我慢できなくなったのが、本書を書こうと思ったきっかけだ。
■目次■
■はじめに
■第1章 人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?
「人は家畜になっても生き残る道を選ぶのか?」
南日本新聞・南点
コラム1 入院?在宅?…誰が決めるのか
■第2章 日本の新型コロナ感染症対策を総括する
「医療崩壊」を叫ぶほどに見えなくなる「日本医療の根本の問題」
コラム2 医療・介護は下流の処理班
専門家がゼロコロナを目指してしまうのは構造的問題であることを「取引の2類型」で確認した話
コラム3 文系?理系?医学はどっち?
感染対策はどこまで効果があったのか?
コロナ禍における『人新世の「資本論」』の意味
『すべり台』が街から消える?ダブルスタンダードな安全至上主義報道が社会を締め付ける
コロナ死1万8千人の陰であの感染症は2017年に死者が2万人も減っていた
■第3章 日本の医療と孤独
コラム4 「生・老・病・死」は誰の課題?
医療による対応に限界が見えたとき、僕たち医師は何ができるのだろう
コロナ禍におけるジェネラリストの意義
日本人の「孤独度」は世界トップクラス⁉ 〜きずな貯金のすすめ〜
コラム5 「孤独」は最も重い病気
女子会に学ぶ、(傾聴+共感+承認)×100=答えを求めない会話術
〜女子は男子に、患者さんは医師に、答えを求めていなかったのか! の絶望的な気付き〜
コラム6 医療が人を不幸にするとき
10年後に消える医療者・消えない医療者
コラム7 「この管を抜いてください」
■第4章 新型コロナワクチンについて
コロナワクチン、打たない夫と打った妻
コラム8 患者さんの味方になる医療
新型コロナワクチンについて
「エビデンスのないものはすべてデマである」というデマ
■第5章 コロナ禍を生み出してしまった日本の医療の構造的欠陥
〇〇〇が多い県に住むと医療費が2倍に⁉
責任者の一番の仕事は「責任逃れ」ではない
コラム9 寝たきりの人が国会議員に?
医療市場の失敗
コラム10 医療・介護は「刑務所ビジネス」か
著者について
1971年横浜生まれ、一橋大学経済学部卒後、宮崎医科大学医学部入学。
宮崎県内で研修を修了し、平成21年より北海道夕張市立診療所に勤務。
同診療所所長を経て平成25年に妻の実家の九州へ戻る。
平成23年、東京大学大学院H-PACにて夕張市の医療環境変化について研究。
平成26年、夕張の研究論文を社会保険旬報にて発表。財政破綻で病院がなくなっても夕張市民は元気だった! 医療費も減った! と論を展開し各業界団体から総スカンを食らう。
めげずに平成27年、「破綻からの奇蹟〜いま夕張市民から学ぶこと〜」を出版(日本医学ジャーナリスト協会優秀賞受賞)、 平成28~30年度は鹿児島県参与(地方創生担当)
令和2年、総予算7万円でひらやまのクリニックを開院。
医療は誰にでも公平に提供されるべき社会的共通資本であり市場原理に馴染まない。だから自分も「医療では儲けない」という信念のもと、開業以来毎月SNSで診療報酬を公開している。また日常診療のかたわら執筆・講演・研究などで発信を続けている。
ひらやまのクリニック院長、南日本ヘルスリサーチラボ代表、日本内科学会認定内科医、日本プライマリ・ケア連合学会指導医。